『あの”希望ヶ峰学園史上最大最悪の事件”は、ただのきっかけに過ぎなかった……

希望ヶ峰学園史上最大最悪の事件を発端にした予備学科の一斉蜂起は……、当初はすぐに沈静化すると楽観視されていたものの、事態はそれと真逆の方向へと加速していく。

まず、その運動はネットを経由し、独自のコミュニティーを形成していった。

やがて、それは学生だけに留まらない、人種や民族を超えたコミュニティーへと発展していく。

さらには、ネット上のムーブメントだけでは終わらず、その運動は現実世界をも侵食していった。

運動が広まり始めた当初は、社会不安を背景に持つデモ活動と変わりなかったが……、それが世界各地に広まっていくにつれ、その異常性は露わになっていった。

いつしか、目的と手段は入れ替わり、残ったのは主義や主張のない破壊と暴力だった。

強者が弱者を殺戮し……、弱者がより弱者を惨殺し……、弱者が徒党を組んで強者をなぶり殺した……。

そんな暴力と死が広がっていくにつれ、その重みは消えていく……。

時代が逆行したかのように、人の死は当たり前のものになっていった。

メディアは溢れる死を垂れ流し、人々は食事をしながらそれを鑑賞する。

世間がその異常に気づいた頃には、事態はすでに手遅れなほど進攻していた。

どうしようもない”絶望感”が巨大なうねりとなって、またたく間に世界を飲み込んでいく……。

やがて、各地でテロやクーデターが勃発し、戦争という絶望へと繋がっていった。

それは、主張や宗教や利益などの対立から起きた戦争ではなく……、ただの戦争。

純然たる戦争。

それゆえに解決方法は見つからない。

だが……単なる学生闘争だったはずの運動がなぜここまでの絶望的な事態に発展したのだろうか?

その理由として考えられるのは……、”ある集団”の存在だった。

希望ヶ峰学園を崩壊へと導いた”ある生徒”を中心とした……”超高校級の絶望”と呼ばれる集団だった。

彼らは、あの希望ヶ峰学園が認める才能を、”人類の希望の為”ではなく……、”人類の絶望の為”に使ったのだ。

世間に対して強い権力を持つ者は、絶望を振りまく為に一般市民を洗脳し……、コンピューターに強い者は、絶望を振りまく為のソフトウェアを開発し……、世間への影響力を持つ者は、絶望を振りまく為に新たな価値観を作り上げた。

こうして、彼らは”人類史上最大最悪の絶望的事件”をプロデュースしていったのである。

そう、”超高校級の絶望”が消えない限り、この絶望は終わらない……。

”人類史上最大最悪の絶望的事件”は終わらないのだ……』